初めてこのまち、逗子市に来たのは1982年、私が13歳の時です。市役所の外壁に、「青い海とみどり豊かな平和都市」の幕がいつも垂れていたのを覚えています。
1987年、逗子市が全国に注目された池子の森に米軍住宅の建設が始まり、反対する住民運動を目の当たりにしました。中学から高校時代の私は、国と住民意思の対立をなんとも複雑な思いで感じていました。その当時のことが今も心の礎となっています。
あれから数十年たった今、政治と民意がかけ離れた状況は、ごくありふれた社会になりました。憲法の立憲主義、民主主義の在り様が危機に瀕しています。さらに生産年齢人口の減少とそれに伴う社会保障費の増大により、国や地方自治体は急速に体力を奪われています。
生活者はまちの知名度が上がることを望んでいるわけではありません。国からの補助金を使い、効果の不透明な活性化政策への税投入を望んでいるわけではありません。子孫に負債を残してまで成長し続ける社会を望んではいません。普通の暮らしが維持できる行政サービスを望んでいるだけです。
政治は生活を良くするためにあります。生活を良くするとは、飽くなき要求に応えることではなく、次次に沸き起こる欲望を満たすことでもなく、人の営みの中で避けられない不幸を小さく軽くすることです。生きるために必要とされる、普通の暮らしが政治によって手に届かなくてはなりません。
市民政治とは、一部の既得権を持った人のためでなはなく、普通に暮らす市民のための、生活のための政治です。市民政治に更なる一歩を邁進します。