2019年度から中学校で始まる「特別の教科・道徳」の前に思うこと

2018年10月24日 22時32分 | カテゴリー: 活動報告

小学校では今年度2018年度から特別の教科道徳が教務化され、評価がなされるようになりました。そして、来年度ではいよいよ中学校でも特別の教科として道徳科がスタートします。新内閣早々、柴山文部科学大臣が就任直後の会見で、教育勅語について「今の道徳などに使える分野があり、普遍性がある」と発言したことで、問題となりました。それ以前に政府は2017年3月31日の閣議決定による、質問主意書に対する答弁書において「教育に関する勅語を教材と用いることまでは否定されることではない」との見解をすでに表明しているのです。

ここで、教育勅語の是非について整理します。1948年の衆議院「教育勅語等排除に関する決議」及び参議院の「教育勅語等の失効確認に関する決議」によって、公的な存在ではない、戦後3年で廃止され排除されたものであり、結果、すでに効力を失われたものである事実があります。これらの決議は、教育勅語が戦前の日本の教育を大きく歪め、道徳的秩序として、国体護持の精神の元、国民の命を犠牲にすることや、日本人が優越した民族であり、他の民族への支配と差別意識を有したことを深く反省することを宣言した歴史を証明しています。

では何もをもって、今更議論する余地のないものを引きずり出すのか。異なる価値観を重んじ、多様性の理解を重視し、考えを深める本来の道徳のあるべき姿は、教育現場において変化が求められているものなのでしょうか。その答えは、教育勅語が当時の社会にどう解釈され、何をもたらしたのかを読み解く必要性が論点になるのだと思います。

政府の意向は税の使い道にも表れています。オスプレイ17機3600億、イージスアショア2基と関連施設を含め6000億、辺野古基地建設費1兆円。これらに費やされる税は誰のための政治なのか、国とは何であり、国益は誰に何をもたらせるものなのか。国の向かう先、向けたい道の先にあるものは、道徳の教科からも透けてみえてくるはずです。